日光・外山沢川・緑沢 山行記録
■メンバー:井坂、田所(記録)
■行程(<>内は標高)
2000/8/15 晴後曇り
0500 久次良発
0535 赤沼着
0545 赤沼発<1391>
0630-0640 小田代ヶ原<1410>
0655-0710 外山沢川入渓点<1400>
0815-0825 緑沢出合<1600>
0950-1000 緑滝上<1770>
1115-1135 登山道(天狗平西)<2350>
1300 湯元着<1500>
■内容
午前3時55分。突然の地震で目を覚まされる。
日光でこんな揺れ(震度2)だとすると湘南は?と不安を感じ、即座に飛び起きた。
幸い震源は伊豆諸島でも相模湾でもなく茨城南部であった。
さて置き、予定通りに起床し、朝食を摂り5時に久次良を出発した。
赤沼の駐車場には約30分で到着した。
既に車も結構停まっている。
小田代行きのバスは5時30分に出ているのでのんびり歩いていくことにする。
石楠花橋からバス道を行く。
天気は今のところすこぶる良い。
6時半に小田代ヶ原のバス停に到着するが、ハイカーの影は見ない。皆カメラマンだ。
幾人かは自転車に乗って移動の手段としているが、これはなかなか妙案だ。
それぞれに三脚の担ぎ方を工夫している様子が伺える。
バス停から数分の歩きで弓張峠に達する。
20mほど下って西ノ湖に達する歩道に入る。
更に250m程歩くと木の橋が架かっている。
外山沢川である。
ガイドにはこの当りは伏流とあるが、今では水流が見られる。
ここで沢靴、ハーネス、ヘルメットを身に着けることにした。
緑沢までは約1時間の道のりであった。
途中、突然のようにお花畑
が広がったりして目を楽しませてくれる。
しかし、緑沢出合は解りにくい。
特に右手から涸沢を含めて
何本か入っており迷わされる。
赤テープもたまに見るが、有効なところにマークしてあるとはとても言えない。
2万5千分の1地図にコンパスを当てながら場所を見極めていった。
発見した緑沢は確かにガイ
ドの言うように伏流になっていた。
しかし、出合の風体から見ると余り期待できない感じを受けてしまう。
ガイドでは「本流に庵滝が現れる少し前」と言う描写があるが地図ではガイドで言う外山滝を庵滝としている。
いずれにせよこの滝より250m程手前になる。
少し行くと明るく開け、沢は右にカーブする。そして外山沢を右に分けると進行方向にナメ滝が見えてきた。
25mナメ滝とガイドにある。直登は不可能に見える。
滝は右の壁を流れており、進行方向は緩い傾斜のルンゼになっている。
ルンゼにも水流があるが、気持ち良い登高が楽しめる。
このルンゼはどうやら緑沢ではないようである。
ナメ滝の上部に出たところでトラバースして本流に戻る。
水流が心地良くこのルンゼを離れるのも少々心残りを感じる。
ナメ滝の上部に出ると、今度は20mナメ滝が現れる。
この滝は直登できるとガイドにある。
傾斜も程々でホールドもカチッとしている。
楽勝ムードで望んだが、意外といやらしい。
ホールドは確かにしっかりしているが、黒く藻が覆っているのが気になる。
足元が気になりだすと、既に10m以上登っていることにも不安を感じる。
先を行く井坂も同様に不安を感じたようで、草付きのやや安定したところに出てロープを出すことにした。
立ち木でセルフビレイを取って上半分を井坂がリードする。
上部は下部よりも木の根のはびこりが多く安心感が持てるものであった。
| ナメ滝上から後ろを振り返ると一寸高い程度のこんもりとした山が見える。
後で地図を確認するとどうやら黒檜山(1976)らしい。 晴れ晴れとする眺望だ。 ここからは黒いナメ床がしばらく続く。
緑滝は2段40mのナメ滝だ。 今ではここが正規ルートのようだ。 |
| 傾斜が緩くなっていき尾根が近いことを窺わせる。
植生も岳樺が主役になってきて、それにマルハダケフキ が黄色く色付けをしている。 岳樺のこんな美しい林は見たことが無い。 淡い緑と白い幹が透明感の強い風景を創りあげている。 ここから一息で尾根の前白根と湯元を結ぶ登山道に出るが、 登山道を歩いていてはこの林相には触れられない。 登高は最後まで快適である。 尾根道には天狗平の西の平らなスペースに出た。 帰途は外山で二つに分かれる内の新道に採ったが、 |
急下降もスキー場が見えてくるとほっとする。
スキー場は一面のお花畑になっている。
一番下のスロープはキャンプ場になっているようだ。
湯元と言えば温泉。温泉に入らずに帰るのは馬鹿馬鹿しい。
前の晩に親父に勧められた泉源の日光山温泉寺で汗を流すことにした。
よもや寺で風呂に与れるとは思いも寄らなかったが…。
湯船は檜作りであるが、風呂自体はこじんまりとしていて5人程度が定員と言う感じである。
入湯後には甚五郎せんべいを馳走になる。
緑沢は遡行する人も少ないようで、原始のままの森林を行くような印象がある。
非常に含蓄深い沢旅であった。
■その他
今回の山行では白山書房刊行の「改訂増補関東周辺の沢」のガイドに依ったが、
1980年の記録は非常に正確であった。
しかし、沢の状態は当時から比較すると岩の表面の藻が増えて難度を増している印象を受ける。
当時容易に登攀できた滝も今ではロープを要するようになっていると感じる。
本書の緑沢の部分についてはこちらを参照されたい。
また、田所が以前荻窪の古書店で入手した昭和18年刊行の山と渓谷社刊 塚本
閤治著「日本山岳写真書 奥日光」(昭和18年5月10日初版)もいろいろと参考になる記事を掲載している。
緑沢を含む部分については残念ながら記述はあいまいであるがこちらを参照されたい。
今回の山行ではデジタルカメラを携行した。
コニカ製のデジタル現場監督である。
画素数は108万画素と今となっては貧弱なスペックであるが、防水・耐ショックに強みがある。
今回の山行でも岩に触れようが水流に濡れようがまるで気を使う必要は無く、快適な登高が楽しめた。
また、デジタルカメラを携行し記録することによる利点は映像が時間情報と共
に記録される点であり、この点で山行記録を構成するのに非常に役に立つ。
ベースキャンプにPCがあれば即座に一覧ページを作成して閲覧に供することも可能である。
一方で、その写りはやはり銀塩写真には遠く及ばない。
これも300万画素クラスになればそれ程不満を覚えないのかもしれない。
むしろ、デジタル現場監督での一番の不満はその大きさと重さだろう。